今回は私が幼少期から今まで家族として父を見ていた中での病状を書きます。
私は生まれた時から、父が63歳で統合失調症で入院するまで精神疾患患者であることに気づいていませんでした。
私の中で父は変わった性格の人だと思い込んでいました。
というか出会った時からそんな人だったので気にも留めていませんでした。
さてどんな人だったのか、まとめていきたいと思います。
私が幼少期の時の父
とにかく優しい父でした。小さい時は良く遊んでくれたように思います。
毎日仕事にも真面目に行き、働いていました。私は父側の両親と母と妹の6人で2世帯で暮らしていました。
母はとてもしっかり者で几帳面でした。祖母もなんでも早くこなすタイプで、お店を営んでました。
祖父はかなり几帳面で、私達孫には優しかったですが周囲にはかなり厳しかったです。
父は基本的に会話がなかなかできませんでした。そもそも会話のキャッチボールが難しい。
自分が考えてることも、言葉にできないので、しっかりものの家族達の後ろをひたすらついていくような関係性でした。
今思うとそんな父を親戚や家族も馬鹿にしてたのではないかと思います。(実際に私にそういってくる親戚もいました)
でも私にとっては、害もなく怒られることも全くなく優しい大好きな父でした。
母が亡くなった頃からの父
小学校低学年の時に母が亡くなり、その頃から父がただ優しいだけで仕事以外なにもしてないことに私も気づき始めました。
基本人と話さない。話しても一方的で、警察が追いかけてきた、ここも取締りをしてる等意味の分からない発言ばかりでした。
今思えばそれも全て妄想や幻覚だったのだと思います。1人で何か話していたり、辻褄の合わない会話も多く父との会話が嫌になりほとんど話をしてませんでした。
というか会話が成り立たないのでしたくても出来なかったです。
食べ物の好き嫌いもとても多く、お肉以外ほぼ食べれなかったです。なので父は一人で毎日ほぼ外食でした。
祖母曰はく、離乳食時期から嫌な味や見た目の物をあげると吐くような子どもだったらしく、好きな物しか与えずにいたらそのまま大人になったようです。
でもこれも妄想等の統合失調症の症状の一つだったのだと思います。また別の機会に詳しく書きますが、入院し服薬治療が開始され効果が出るとほとんどの物を美味しく食べられるようになりました。
食事も別々なので、顔を合わすことすらほぼなかったです。
人との関わりも嫌うので、懇談や参観日等もどうしても必要な時以外来ませんでした。友人等も見たことがありませんでした。
父は祖父母の言うことにすべて従って生きているような人でした。私には祖父母の操り人形のように見えていました。
祖父母は父が幼少期から周囲の子とは違うことに気づいてたと思います。でも病院へ連れて行こう等は考えなかったようです。
あれこれ口出ししては、全てを祖父母が決めてやってしまっていました。なので父は祖父母や誰かの言う通りに自分なりに精一杯行動してるようでした。
幼少期に病院へ行っていたり、父の心の状態に寄り添っていれば父の今の状況はなかったでしょうし、結婚して家庭をもってもいなかったでしょう。
(父は祖父母が結婚と子どもを望んでいたので、親同士が気に入ったという理由で母と結婚しました)
祖父母が亡くなってからの父
祖父が亡くなった時も父は悲しそうでしたが、そのあと祖母が亡くなった時はもう大変でした。
何も出来ない分からない、でももう自分は50半ば、、、。
父は葬式でこれから僕はどうやって生きていけばいいんだと泣いてました。
その時私は20歳でした。母が亡くなった時から、基本的に自立していた私はその父の姿を見て可哀そうな人だと思いました。
お金の管理もしたことがないし、光熱費がかかることも知らない、郵便物チェックもできない、もちろん税金なんて全く知らなかったようで、生活は大変でした。
でももうその頃には私は一人暮らししてたので、妹から愚痴を聞くのみでした。
電気が止まる、お金がない、税金の未納等事件がいっぱい起こりますが、本人は本当に知らないだけでなんの悪気もなかったです。
祖父母よ、ちゃんと死ぬ前に父に大事なことは教えといてくれよと心の底から思いました。娘の私達が苦労するのに、、、、この後の介護で全て私が教えることになり毎日大変すぎて禿げそうでした。
出来ないからと自分達でやるなら、死んでからのことまで考えてほしいし、それができないなら生きてる間に自分達の子どもなんだからできるようになるまで教えてほしいです。
でも私達姉妹は、父が頼りなさ過ぎてその辺りの生活力はしっかり育ちました。誰に教えてもらった訳ではないのですが、、、。
まとめ
今から考えると父は私が物心ついた時から、統合失調症だったと思います。
父は人生の中で症状が悪くなったり良くなったりを繰り返しながら、なんとなく自分でコントロールして過ごして生きていたんでしょう。
周囲もなんとなくおかしいと感じながらも、精神疾患だとは思いもしてなかったんです。
もっと早くに誰かが気づいて、治療を始めていれば父の人生は全く違うものになっていたでしょう。
でもそうなると、私は生まれてなかったかもしれないですが、、、
父のことは理解できない所の多いですが、優しい部分もたくさんあって私にとっては家族なので大切な存在です。
大切な家族ですが、大変なことや嫌なこと傷つくこともたくさんあります。自分の心がしんどくならないようにするためにも、1歩引いて客観的父を観察する位の気持ちで接しています。
酷い言い方ですが、父としてではなく患者として診ている時もたくさんあります。
そうしないとなぜ私ばかり大変なんだろうと全部投げ出したくなるからです。
これからもあまり近づきすぎず、距離も保って接していきたいと思ってます。
お読みいただきありがとうございました。
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